STORY

[あらすじ]

【神】
「バベルの啓示」を与える存在。ハンドシェイカーたちが辿り着く場所にいるもの。
ジグラート内に存在するわけではなく、そのさらに向こう側、物質的な概念から離れた場所に存在する。その正体は人間の集合的無意識にある「願い」そのもの。
全人類の「願い」が集まったものであり、人格は持たず、目的もない。ただ強い「願い」に対して、「ハンドシェイカー」の力を覚醒し、自らに至る道を開く。
「バベルの啓示」はハンドシェイカーが為すべきことを、神の内部に残された無数のハンドシェイカーだった者の記憶から、直接脳裏に投影している現象。
 
  【ハンドシェイカーは古の人類】
互いに意思を伝える力は、もともと人類が持っていた一種のテレパシー能力だった。古(いにしえ)の人々は互いに自由に意思疎通することができ、それらの集合的無意識である神に触れることもできた。
だが、自意識の発達と社会の形成により、人類は自らの考えを他人から隠そうとするようになった。これにより、テレパシー能力は失われた。
「ハンドシェイカー」となったパートナー間の意思疎通は、強い絆と願いが「神」と触れたことで、かつての人類が持っていたはずの能力が不完全に覚醒したものである。
 
【ニムロデと願い】
ニムロデは、ハンドシェイカーの「願い」がジグラートにおいて具現化したもの。武器として具現化されてしまうのは、ジグラートが戦いの舞台だと認識されてしまっているため。
倒したハンドシェイカーの力(つまりは「願い」)を奪い、強化されたニムロデがジグラートを侵蝕するのは、ニムロデが本来、神へと届かせたい「願い」の具現そのものであり、そのためにジグラートより先へ進もうとしているからである。
 
  【本来のハンドシェイカーと、現在のハンドシェイカー】
人の集合的無意識である神の世界は本来、人間が単独で至ることができない世界。巫女がトランス状態で至り、神隠しにあった者が迷い込み、伝承に残る神々の世界でもある場所。
古代、まだ多様性を持たなかった人々は、互いの「願い」をひとつにまとめること(=儀式や神事、魔術、呪術等)で、集合的無意識である神の力を思いのままに操ることができた。
ジグラートとニムロデの本来の用途は、多くの人間が心をひとつとしてジグラートに入り、そこでニムロデを重ねることで神への道を開くことにあった。
ただし、神の領域とは物質世界とは違う場所であるため、よほど強固に己を保っている者でなければ、他の「願い」に呑まれて、意識自体が消滅した。(生贄という形で伝承に残る)
しかし、時を経て多様な価値観が生まれ、自意識が発達したことによって、前述のテレパシー能力を失い、神の力を使う術もなくなった。
ハンドシェイカーは強い「願い」が(パートナーと)重なることによって、かつて持っていた力を取り戻した人類である。
現在のハンドシェイカーでも、二十組以上が集まり、儀式の場所であるジグラートで、ひとつの「願い」を願えば、その想いは神に届き、現実すら捻じ曲げて「願い」をかなえることができる。(だが、実際は互いに別々の「願い」を持ち、他者を認めることはしない。そのため、「バベルの啓示」もまた、戦うことを求めた内容となった。ハンドシェイカーがこの手段で神に至るためには、二十組前後のハンドシェイカーを倒す必要がある)
 
【芥川夫妻の真実】
コヨリとマユミの両親、芥川夫妻は神に至ったハンドシェイカーの一組だった。
二人は多くのハンドシェイカーを倒し、その「願い」を奪い、強化されたニムロデによってジグラートを破壊し、神にまみえた。
二人の願いは「コヨリ、マユミをハンドシェイカーの運命から解放すること」だったのだが、この時、コヨリの父(娘たちを救うために半ば狂気に捕らわれていた)との関係と、娘たちを襲う悲劇に心を病んでいたコヨリの母は「コヨリとマユミから悲しみを消す。全て消す」ことを願った。
そのため、二つの「願い」が入り交ざり、コヨリとマユミは、物質世界の人間として半分が消失した状態になり、感情なども失われてしまった。
動揺した芥川夫妻は神の前で形を保つことができず、神の一部となって消滅し、帰ってくることはなかった。
物質としての肉体を失った夫妻だが、その意識は集合的無意識の一部として、神とひとつになっており、いずれコヨリたちがそこに至れば邂逅もありえるかもしれない。

©GoHands,Frontier Works/W'z-Project

ページトップへ